2021年12月12日日曜日

術後6カ月検査

2021.12.8 術後6カ月検査

 「真夏の暑さ」到来が近いことを覚悟しながらも、それを実感する前にベッドに縛り付けられ、季節感を喪失した半年前から、「真冬の寒さ対策」をして紅葉する木々と対面するまで、季節感と結びつくイベントは皆無だったように、暑さ知らずの年となりました。
 目と鼻の先(有明)で行われた五輪競技(テニススケートボード)が、TV画面内の情報でしかなかったように、社会活動と関わりを持てなかった者には、世の中の情勢も画面内の情報でしかなかった、との印象があります(感染症とのニアミスはあったようです)。
 ですが、ベッドから解放されると、行動範囲は限られるも、外部社会(社会や季節感)との接点を求めて動き出したくなります。紅葉する木々を求めて散策し、季節感を取り戻そうとする行動は、外界との関係性や距離感から、自分の意識や立ち位置を再確認し、アイデンティティを再構築しようとする、人間の習性ではないかと感じます。

 手術後6カ月の検査で、背骨に新たな腫瘍が見つかりました。前回放射線治療した部分のすぐ下に並ぶ3つの骨で、当時からあったが、認識できないサイズだったのかもしれません。
 この「一難去って…」(安堵させて落とす)のタイミングは、ドラマのシナリオのようですが、それは放射線・抗がん剤治療により腫瘍の活動が抑えられたためで、治療終了から時間経過につれ体力全般が回復したように、腫瘍も再び活発な活動をはじめ、認識可能な大きさとなるまでに必要な時間なのかもしれません。
 年内の応急的処置(放射線治療を10回実施)で腫瘍の活動を抑え、年明けから治療を始めるとの概要を耳にしただけで、見通しを何も持てない状況となりました(詳細スケジュールは年内に決めるつもりでは?)。現在書けることは何も無い状況ですし、気持ちの整理や、立て直す時間も必要なため、しばらく更新を休みます。

2021年12月5日日曜日

抗がん剤の効果

2021.12.1 食道治療は再度先送り

 当初の検査により治療部位は、咽頭部(下咽頭、中咽頭)、リンパ節、食道とされ、最後の食道治療に向けた内視鏡検査(上部消化管内科)では、緊急度の低い軽度の腫瘍と判定されます。特段に緊急性を求められないことから、体調の回復具合を見ながら実施しようと、2カ月程度先送りにされました(10月から12月に先送り。当初は最短で9月中の終了も選択可でした)。
 こちらには、すぐの治療でも覚悟はできていますが、不安を取り除く配慮か、先生から「Go !」への気勢が伝わってきません。先送りされた頃になると、間近に手術から6カ月の定期検査(頭頸科 CT検査)予定があるため、その結果を見て判断しようと、再度先送りになります。総合腫瘍科の先生も「年が明けちゃうね」と、苦笑いする時期ですが、関わる担当科が定期検査を尊重することは、チーム医療の正しい姿勢と思われます。再度の先送りが可能となったは、抗がん剤治療を担当した総合腫瘍科先生の「抗がん剤が効いたのかもしれない」(治療で耳にした、もっとも明るい響きを持つ言葉!)の言葉通りとしたら、なんと見事なチームワーク! であると。それを信じているので、何度先送りにされても待っています。

 内視鏡検査で使用した鎮静剤は、麻酔のような鋭い効きめで、内視鏡を口に入れる記憶の次に、口から抜いて「お疲れ様でした」の場面がつながる様子には、「何かあったの?」と驚かされました。全身麻酔と違い、目覚め後の意識はハッキリしていて、眠っていたとは思えないことから、意識・記憶のコントロールも可能では? との怖さも感じます。

 右:東京ビッグサイト

2021年11月27日土曜日

療養と支え

2021年9月13日 退院

 今回の治療(放射線照射・抗がん剤点滴)は、がん細胞と共に正常細胞も痛めつけるため、治療終了(治療しないこと)すなわち療養の始まりになります。療養では、光が差す方向へ進むにつれ、心身は明るさを取り戻すもの、と思っていたので、改善の兆しが一向に見られず、暗雲が漂う状況、では、戸惑ってしまいます。症状の重さや、回復時間 等の程度差ではなく、特定の機能(飲み込み)や症状に限られることに気づくと、次第に明るい見方ができなくなります。
 抗がん剤に期待される、がん細胞の増殖を抑える効果は、正常な細胞にも影響を及ぼすことがあり、その影響で変質した細胞には、療養後も以前の状態に戻らないものがあるとのこと。仮に治療の影響をゼロに戻せても、機能を取り戻すことが叶わなければ、「回復は見られない」と評価されます。その時分に想起したのが、以前「地獄の門番」に例えた、放射線科看護師さんの「本治療前にあった回復の手応えをすべて失うこともある」の言葉で、「このことか……」と抵抗することもなく、眼前の状況(回復不能の可能性)を受け入れ、共に歩むことに。
 日常生活というのは、身体の各部分に備わった、様々な機能の連携に支えられるため、一部でも欠けると生活に支障が生じることを、改めて認識させられました。

 そんな時分の外見から、心身の状態を察してくれた看護師さんが、退院時にかけてくれた「あの状態から、よくぞここまで! 回復しましたねぇ〜」の言葉を、見るに忍びない姿との比較による、最大級の褒め言葉と受け止めました。そのような方々の支えのおかげで、なんとか退院までたどり着くことができたと、感謝しております。
 武器を用いた最初の「がんとの闘い」(手術・治療)は、本年いっぱいで終わりそうですが、来年以降も引き続き、原動力となる精神的な体力を鍛え、支えてくれる周囲のサポートへの感謝を忘れずに、療養とリハビリに取り組むことに……

 右:病院外観

2021年11月20日土曜日

いっぱい、いっぱい……

2021年8月23日 いっぱい、いっぱい……

 最後の抗がん剤点滴の朝、先生がベッドを訪れ、血液検査(腎機能)の結果「抗がん剤投与は可」を伝えてくれますが、こちらは「もう、いっぱい、いっぱいです……」と、ギブアップの言葉を絞り出すのがやっとでした。
 この入院では、何度も想像を超える状況・場面に遭遇し、それを乗り越えてきた、と振り返ることができますが、この時は「現状に耐えられない」上に、「目の前の山を乗り越える姿を想像できない」と感じていました。この時のわたしが求めていたのは、(首が締め付けられる)呼吸の息苦しさからの解放であるため、この辛さが1週間以上延長され、息苦しさが強まる恐れのある「抗がん剤投与」の選択は、できるものではありませんでした。当時は「就寝中に息苦しさが強くなったら…」というイメージにビビるため、睡眠導入剤を飲んでも眠れませんでした。
 化学放射線療法では、放射線照射 週5回(月〜金曜)計35回と、抗がん剤点滴 週1回(火曜)計7回を並行して行いますが、最後の抗がん剤点滴日(火曜)の体調が思わしくなく、第7クール最終日(翌月曜)に再チャレンジとなりますが、その日も体調が回復しないため、7回目の点滴は未完の状態で本治療は打ち切りとなります(冒頭の場面)。
 説明できない副作用(吐き気)の出現までは目立った変調もなく、先生も「これほど順調な人はまれ」(検査結果を含め)と感心するように、体調も良好そうに見えましたが、しばらくして振り返ってみると、見た目にわからないだけで、ギリギリの体調を気持ちが支えていたのではないか、と思えてきます。「治療完了できず」の失意に加え、身体へのダメージもこれまで以上に大きかったようで、終了後1週間は、精神、肉体共にまるで立ち直る兆しが見られませんでした。当初は完遂できないことに弱さも感じたが、回復に時間がかかるようなダメージを受けるまで、治療に向き合った姿勢は評価すべきで、時間をかけていたわってあげるべきと。

 この時の判断は、その後の経過・治療の命運を握っているため、何度も振り返ると思いますが、現時点では評価を変えることなく受け入れることができます。振り返っただけなのに、気分が悪くなるような、辛さ、重さを持ち合わせた決断を下すという、厳しい経験をしました。

 右:病棟の廊下

2021年11月14日日曜日

説明できない副作用

2021.08.01 とどめの副作用

 放射線治療+化学療法を5週間続けると、ベースとなる体調も治療の影響で変調してしまうため、健常時との単純な比較はできなくなります。この時分の副作用は、口の渇き、口内炎、便秘、吐き気、痛み止め効果の低下と多彩ですが、ここでの吐き気は、これまでに経験したことのないプロセスで出現します。
 忍び寄るような「これ吐き気?」「すぐにおさまるだろ」と認識するのは、停止させられたセンサーが危険信号を見逃したためで、同様に身体を守る「防衛システム」も無力化されます。そのため、防御力を備えた外部への誘導路を、抵抗の間もなく構築されてしまいます。静かに忍び寄る吐き気に、抵抗する術はありませんが、一度出してしまえば落ち着きを取り戻せます。ですが、数日後には別の副作用が発生したかのように、食欲が失われ、食べ物が喉を通らなくなるため、その後は点滴で栄養補給することになります。
 この吐き気と食欲不振が別々に出現するような副作用は、変調した身体に起こるらしい、としか説明できません。

 そんな状況でも口にできそうなものとして、アイス(甘味はわからないが、乳製品(バニラ)のコクはわかる)にチャレンジします。冷たい嗜好品ですが、口の中で溶かしてカロリーをかせげるので、栄養士も奥の手として推奨しています(カロリーの高い食品として評価)。以前同室の方が、食べ物は喉を通らないがアイスなら入ると、可能な間は続けていたように、この状況下では頼りになる救世主的な食品です。


カーテン越しに迫る感染症

 夏のコロナ感染が拡大した時分に入院した方が、感染を疑われたのはベッドの上でした。
 午前に入院し、ベッドで昼食中に医師から「感染症検査のため、病室を移動してもらいます」「食事してからで結構です」と告げられます(カーテン越しに声だけ聞こえる)。すると間髪を入れず数人の看護師がやってきて、「食事を持って移動してもらいます」「隔離が必要なためです」と、慌ただしく移動させられることに。それにしても、もう少し早く判断できなかったかと。
 もしその方が感染していて、こちらがカーテン越しに感染したとしても、「カーテンで感染は防げない」はすでに共通認識ですから、教訓にもなりません……
 病棟を感染から守るには、面会禁止、外部との往来遮断だけでなく、隔離体制が必要であることを、逃げる術を持たない入院患者の立場で実感させられました。

 右:有明ガーデンに隣接するマンション群。左側は東京臨海広域防災施設の電波塔。この左奥に、東京五輪スケートボード競技(リンク先Youtube)会場の有明アーバンスポーツパーク

2021年11月6日土曜日

見えない敵との戦い

2021年7月11日 化学放射線療法

 二回目の入院では、放射線治療(放射線照射 週5回(月〜金曜)計35回)と、化学療法(抗がん剤点滴 週1回(火曜)計7回)を並行して実施する、化学放射線療法を行います。
 手術で切除しきれなかった細胞や、目に見えない小さな細胞を死滅させるため、がん組織周辺(切除した喉頭周辺)への放射線照射と、広い範囲の再発・転移を防ぐ化学療法を組み合わせることで、高い治療効果を目指します。ですが高い効果が期待される反面、副作用も強いとされるあたりに、抗がん剤治療の厳しさが潜んでいます。

 放射線治療では、身体に照射位置を合わせるマークが描かれ、照射時には頭部を固定する、ミイラの棺(ひつぎ)のような固定具(金網メッシュのマスク)が被されます(15分程度)。密着するようオーダーメイドで作られたマスクを、装着時にパチッと締め付けられると、息が詰まりそうな恐怖感を覚えます。手にした緊急ボタンを押しても、外すまで時間かかりそうなので、パニックになる人もいるのではないか? 咳ができないのもプレッシャーですし、マスク装着時は「生きた心地がしない…」というのも、大げさな話ではないと……
 化学療法の肝となる抗がん剤(シスプラチン)点滴は約2時間で済みますが、そのためには様々なケアが必要で、週の中で連続した3日間(火曜:9時間、水曜:4時間、木曜:4時間)のセットを行います。火曜は、吐き気を和らげる薬、点滴ルートの洗浄、水分・電解質補充、吐き気を和らげる薬、利尿剤、抗がん剤、水分・電解質補充の7種類、計9時間。水・木曜は、それぞれ水分・電解質補充が4時間。また月曜に、血液検査(腎機能チェック)で抗がん剤投与の可否を調べます。

 治療開始当初は何の違和感も感じませんが、3週目あたりから体のダルさと変調を感じはじめます。木・金曜に出現するダルさは土・日曜に落ち着き、週ごとに切り替えられましたが、次第に蓄積しはじめ、ダメージが継続するようになります。ここで出現した変調には、味覚から「甘さ」が失われる、「抜け毛」が増える、痛み止めの効果が弱まる 等があります。味覚異常は甘さだけで、コーヒーのコクや、乳製品・出汁の味は変化ありません。抜け毛も一時的で、よく耳にする事態には至らずに済みますが(抗がん剤の種類が違うためか?)、痛み止めの効き目が薄れたと感じたのは、痛みのレベルが上がったためのようです。
 首の締めつけ感を軽減する効果が失われたため、より強い痛み止めである、医療用麻薬(モルヒネ)を使用することになります。その響きから、がん闘病で入院中にモルヒネを使用していた、大学同級生の記憶を想起することに(彼はその後亡くなった)。できれば触れたくない記憶ではあっても、はなから無理だったわけで、当然、重ね合せて考えることになります(彼の方がはるかに厳しい状況に思える)。
 医療用とは言え、できるだけ麻薬の世話にはなりたくないと考えますが、ダメージの蓄積で効果が薄れても、効き目の強さを調整できることを実感してからは、正しい付き合い方を目指すことに。ですが副作用とされる便秘では、手術後は息を止めて力めなくなったため、これまでに経験したことのない「長時間の戦い」を強いられることになります。これが苦しいこと……

 7週間という長い道のりのため、気持ちの張りを維持することが難しく、また、終盤に新たな課題が出現するため、ストレス等の負荷は増大する一方で、逃げ場もなく、精神的に追い詰められることに……


2021年10月30日土曜日

地獄の門番

2021年7月5日 再入院

 一時退院〜再入院までの準備期間中に、放射線診療科で治療の事前説明があります(入院受け入れは総合腫瘍科)。
 診察室に現れた、婦長さん(?)のような貫禄と迫力がある女性看護師の方から、放射線治療と抗がん剤治療の概略と心構えについてのレクチャーを受けます。この方の、歯に衣着せぬ冷徹な物言いの迫力に圧倒され、刺激的な表現「今度の治療は覚悟しておきなさい(の主旨)」に、「いよいよ山場?」の緊張が走ります。
 治療の事前説明では、疑問や不明点についての説明に加え、治療への不安を取り除くため、患者がネガティブと感じる要素についても、納得を得る必要があります。ここは、一般の方にも辛い治療と認識される「抗がん剤治療」を説明する場面なので、患者側もある程度の覚悟を持って臨みますが、そのように重要で、繊細さが求められる場面において彼女は、ここは「地獄の入り口」であり、この先には「ネガティブな要素が満ちている」との主旨で、覚悟の甘さを戒め、治療の厳しさを強調します。無意に不安を取り除こうとはせず、正面から立ち向かう必要性を訴えるために、憎まれ役を一手に引き受けているように感じられます。
 治療が始まってから、彼女のアドバイスを何度も想起したのは、地獄の門番のような彼女に、「救済」を求めようとするためですが、「地獄で仏」に救済されることはありません。ですが、彼女の戒めの言葉が思い浮かんだ瞬間だけは、辛さから気をそらすことができたわけで、「救いの手」が届いていたと言えそうです。
 人は厳しい状況に置かれると、無意識にそこから逃れる術を求めますが、救いを求めるのはどんな時でも、「信頼できる相手」に限られるようです……

 右:新木場(貯木場)方面(病棟より)


NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』終了

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災の被災地で、震災から受けた影響を内証的に描こうとしているが、それでは登場人物たちの内に秘められた暗さは、いつまでも解消されないのではないか。仲間同士で意識を共有し、理解し合うことで、再起への第一歩が踏み出せそうに見えるが、当事者たちが納得できればそれで解決なのかと、戸惑った方も多いのではないか。
 ベテラン勢(内野聖陽、鈴木京香、浅野忠信、夏木マリ)の見事な味も、主人公(若者)たちとの距離感が縮まらないまま収束してしまったように……